工業化された多様性

多様性が拒否されたという話しや報道が時々ありますが、多様性というものが拒否されていることもありますが、知識人が○○するべきこういう人に対して配慮するべしという工業的な押し付けに反発があると感じる。

 

人の意識というものは、パソコンのように簡単に更新できるものでもないしましてやそれが絶対に正しいのかわからないのだ!

 

多様性ある社会っていうものはそもそも論声を大きく上げるものなのか?人は元々差別している生き物である。多様性ある社会とは聞こえはいいですが、資本主義と合体すると競走原理がどうしても働き続き無暗に闘争する場を増やすのをわたしは心配しています。

 

この社会が誰でも最低限の暮らしを保証しているならば、貧困層や中途半端に差別されてきたような人間からは反感は買わないでしょう。現実は資本主義社会で競争社会です。よく見えない天井理論提示している方いますが、就職氷河期の方にそれを言ったら全員健常者に聞いても下駄履いていると回答帰ってくる可能性があるので、世代格差すらも問題になってきますよ

 

多様性社会多様性と言いながら、捨てられたと感じる人たちが多いから反発が帰ってくるのは当たり前で、彼らは能力に恵まれていないのではなく運が絶望的に悪かった。数年時期ずれていれば普通に就職できた人も多かっただろう。それを努力不足ってインパール作戦でも実施するつもりですか?