少年革命家の賛否は社会の二極化の象徴では?

不登校は不幸ではないと言った少年革命家がいますがそうした発現に賛否両論出るのは人は自分の経験でしか語れない証拠でもある。

 

学校に行かなくても、学ぶことは無限にできる。社会性も、学校で身につく社会性がすべてじゃない。そもそも同じ年齢の子どもたちだけの「社会」は「社会」じゃない。という人がいたがそうした人は元々頭が良い。

 

頭が良いとどうなると授業は退屈になります。彼らの世界では、上司の自慢話しを給料なしで受ける苦痛と同じようなものです。

 

上司の自慢話しを聞かないと評価は下がり、聞くと時間を拘束される。

 

 

これが頭が良い人から見た授業

 

 

普通の人は一番学校に馴染みやすい。

 

元々学校は枠組みの中では一番平均レベルが最も暮らしやすい。授業にもついていけ、授業の時間も無駄にはならないかなり理想的である。

 

 

落ちこぼれ

 

これもまた大変。授業で何をしているのか全く理解できない。授業時間が実は無駄である。

課題や宿題を出されても達成するのに普通の方法を使えば期限内には無理なため、カンニングや提出しないということにも手を染める。

 

成績悪ければ学校は何しているかそもそもわからんし、自分を否定しかしないから楽しくない。

 

 

 

賛成意見が出てくるというのはそもそも、学校で嫌な思いをした人がそれなりにいるということで今回は授業という視点から見てみましたが人って学校時代から色々と経験して大変なんだなー