戦争論を読んで核はいらないと改めて、確信した。

日本が核を保有すべきかするべきではないかという論点があるが自分は反対をする。

これは、武士道に反するとか、人類を破滅に追いやる非人道的な兵器ではなくそもそも、核兵器とは、人に金をあまりまわさない兵器だから、核を開発するくらいならば原発を推進したりして普通に原子力を平和的に使う方が経済的に潤うし、多額の予算を核にかけるくらいならば、テロ対策として憲兵隊を増やす方が普通に雇用も生み、治安も向上するでしょう。アメリカの核兵器の管理費は、およそ3000億ドルで、そのうち、およそ1000億ドルはアメリカの核兵器庫の保管に、およそ1630億ドルは、核兵器運搬システムに費やされています。不合理な兵器ですし、核保有国のイギリスもアルゼンチンに領土を普通に取られていました。第一核保有国に対して勝てないことはないですしそもそも核で絶対しなければというものではありません。これは孫子や戦争論で書かれています。

 

一戦争とは政治の延長線上にあり、外交の道具であることを心がけよ、(戦争論より)

先の大戦は絶対戦争という、それぞれが生き残るために総力をあげて戦い、相手を無力化することだがこれは今やろうとすれば核を抜きにしても、工場、互いの全ての民、存在していたという歴史全てを燃やさなければいけない。これは不可能であり、どこかで妥協をするのが普通である。例えば、核を使えばそこに住んでいる人を殺したいという目的しか達成できないので、今日散らばっているテロ組織とかにはあまり使えない兵器である。

 

二普通に自分の領土に侵入されても核使えるの?

核兵器は何発あっても普通の軍隊が弱ければあまり意味がない、日本へ原爆を投下してたりベトナム枯葉剤を使ったアメリカがキューバに対して非道な戦争を仕掛けられないのかというと近すぎてリスクが大きいことと、もし攻撃に失敗すれば安い兵器でアメリカにたくさんの被害が出る。そこに核を使っても抑止にならないものになる。隣国からの抗議だけでなく、自国民からも出る。それだけならばまだ良い、内戦と戦争もあり得なくないからである。つまりは戦争に勝って政治で負けたケース、ベトナムもこれである。

 

核兵器は無敵ではない

核兵器は相手の拠点がわからない敵と自国に使う時に対して制限をかなり受ける兵器です。資源を保有している国や農業国家はお勧めしない代物です。モンゴル、テロ、真珠湾を組み合わせたら使え暇もなく破られる。テロと真珠湾だけでも怖いものだが、モンゴルはどうしてか彼らの移住と手薄のところしか狙わず、罠にかかるまでじらす狩りのようなえげつない戦法とテロのように宣伝するやり方、損耗率が高くても戦う日本の戦法と土地を手に入れたいという渇望が組み合わさるほど恐ろしいものはない。

絶対戦争の亜流というより、昔のチンギスハンの戦法

 

 

核を持とうとすることは、自分は勧めません。平和主義者とかそんなものでもないからだそもそもそんな役立たずに予算使うならば、原子力を再活用するモンジュでも研究していた方がましですし、基本的な軍つまりは自衛隊を強化していた方が金も回るし抑止力にもなります。北朝鮮やイランなど一部取り上げられていますが、全ての国を敵に回し貫く何かが日本にあるのならば持ったらいいが、覚悟はあるのでしょうか?

 

 

戦争論 レクラム版

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