近代魔術に影響を与えた人物

トリッテンハイムのヨハネス・フォン・ハイデンベルグ。「トリテミウス」とは、彼の生誕地をラテン語風に読み替えたものであり、いわばペン・ネームのようなものである。
 彼は、ビッグマウスと「はったり」と言う性癖を持っていた。ゆえに、彼は不当にも胡散臭い目で見られることも、しばしばだった。
 しかし、彼は恐ろしく博識な学者であり、優れた神学者であり、そして実践派の魔術師でもあった。

 彼のオカルティズムへの業績は、自然魔術から儀式魔術への橋渡しをしたこと。
 もう一つは、ピーコによってユダヤ教から切り離され、独自発展したキリスト教カバラを、非ユダヤ教の魔術カバラへの発展に寄与したことである。
 そもそも、自然魔術というのは、どちらかと言えば思弁的なものだ。もっとも実践的であったポルタのそれでさえ、どちらかといえば民間療法、生活の知恵の集大成的であった。
 しかし、トリテミウスは、より儀式的、そして精霊的な力、超自然的な力を呼び起こすことに関心を示したのである。 
 彼は、七惑星の精霊や天使の召喚魔術、あるいは死者の霊を呼び出す降霊魔術すら実践した。
 彼は、ジョルダーノ・ブルーノ言うところの「数学的魔術(mathematica)」、「隠秘哲学(occulta philosophia)」、「死霊魔術(magia desperatorm)」に興味を示した。
 彼は、かのコルネリウス・アグリッパの思想的同志であり、事実、彼はトルテミウスの生徒であり、友人であった。

 トルテミウスは、1462年に生を受ける。彼の実父は彼が幼い時に死去。母親が再婚した継父とは関係がうまく行かず、継父の姓を名乗るのを拒否した。
 早熟な少年で、学問の道を志したが、継父の大反対を受ける。それに抗議してハンストを決行したところ、初の幻視を経験する。白衣の天使が彼の前に出現し、2枚の石版を示した。一枚には絵が、一枚には文字が書かれていたという。天使はそのどちらかを選ぶように命じた。少年は、文字の方を選ぶ。天使いわく「汝の望みは叶えられるであろう。」
 その翌日、根負けした継父は、隣人の息子の下で読み書きを学べるように取り計らった。彼は1ヶ月でドイツ語の読み書きをマスターしてしまった。
 やがて、彼は母方の叔父の援助で、どうにかトリール大学に入学する。18歳の学生時代に、早くも彼は神秘主義的な傾向を示す。仲間と学生達と共に、「ケルト同盟」なるささやかな秘教結社を作ったらしい。

 彼は、当時の貧しい者が学問の道で生きる唯一の手段、修道士を志す。
 伝説によると、彼は帰省の旅の途中、凄まじい吹雪に襲われ、避難したベネディクト会の修道院にそのまま留まり、修道士になる決心をしたという。
 ともあれ、20歳になった時、ベネジクト会の修練士となり、わずか2年後に修道士となる。そして、その1年後に23歳の若さで、シュポンハイムの修道院長に任命される。
 とは言っても、この修道院は堕落した問題児の吹き溜まりみたいな所で、やっかいな役職を若造に押し付けた、と言ったようなものだった。
 しかし、彼は、この修道院の建て直しに成功する。彼は行政や経営の才能も持っていたのである。
 ここで、彼の派手好き、そして「愛書家」ぶりが発揮される。
 図書館の大幅な建設を開始するのである。彼は大量の本を購入し、写字生達の尻をひっぱたき、蔵書を増やして行った。こうして、彼が赴任した時わずか48冊しかなかった蔵書は、2000冊にも膨れ上がっていた。
 彼の蔵書は有名になり、かのロイヒリンも、これを閲覧するために訪ねて来たという。
 この蔵書の中には、グリモワールを含めた相当数の魔術書も含まれていたらしい。1505年に、これにびびった小心者の修道士達の一部が、トリテミウスの目を盗んで、魔術関係の書庫に放火するという事件も起こっている。
 さらに、彼は、その独裁的な経営から修道士達の反発をまねき、1509年に小さな修道院長へと左遷される。
 しかし、彼の残した蔵書を、そこの修道士達が有効に活用することも出来るはずもなく、トリテミウスは安価で、かなりの本を買い取ることができた。

 トルテミウスは、ヘルメス文書にも当然精通していた。さらに、彼は多くのグリモワール類、カバラ文献にも目を通し、これらの正確な要約も行っている。
 彼によると、魔術は3種類に分けられるという。一つは「自然魔術」。もう一つはカバラを使って天使や善良な精霊や天体の力を借りるカバラ魔術。そして、悪魔の力を借りて行う黒魔術である。
 ここにおいて、彼はこれまでルネサンスの学者達が奉じて来た自然の法則を応用するだけの「自然魔術」とは別個の存在として、「カバラ魔術」を独立させた。この考え方は、アグリッパへと受け継がれる。すなわち、「カバラ魔術は、自然魔術のように自然の法則に従ってその力を借りるだけの物ではない。カバラ魔術は、精霊や天使や天体に働きかけ、自然界に、こちらから影響を及ぼすことが出来る」という考え方へと発展してゆくのである。

 彼は、「悪魔と契約した魔女」を信じていた。彼は「魔術の矛盾」なる著書をものにし、そこで彼は悪魔の力を借りて行う「黒魔術」を批判した。
 しかし、同時に彼は魔女裁判の現状については批判的な立場を取っていたということも、付け加えるべきであろう。

  彼の魔術の実践には、多くの伝説じみたエピソードが残っている。
 マクシミリアン皇帝は、最初の妻を失った後、後妻を誰にするかで悩んでいた。彼に相談したところ、「亡くなった皇后様に決めて貰うのが一番でしょう。」と言うことで、死んだ前妻を呼び出した。そして、彼女の助言に従って再婚相手を選んだと言う。このエピソードは、ルターの著書に残されている。
 また、皇帝の要求に応じて、ギリシャ神話の英雄たちヘクトルやアキレスの霊も呼び出した。さらには旧約聖書ダビデ王も召喚して見せたという。この時、先の英雄二人の霊はマクシミリアン帝に頭を垂れたが、ダビデだけはそうしなかった。トルテミウスが言うには、「ダビデの王統は、キリストに由来し、全ての王統の上に立つのです。だから、彼だけは陛下には頭を下げないのです。」と言う。
 これは、何人もの宮廷関係者、学者が記録に残している。
 これは、どういうことか? 後世の学者は、あの博識なトリテミウスのこと、おそらく幻燈機(カメラ・オブスキュラ)を使った手品だったのだろう、と言う者もいる。

 彼は「近代暗号の父」とも呼ばれる。
 暗号の方法を集大成した「暗号記法」なる大著を出す。また、「多元記法」なる別の暗号法の著書も著す。
 しかし、ここで精霊や天使の名、呪文、ゲマトリアなどを暗号に使ったのが、まずかった。
 「暗号記法」の1~2巻は、純然たる暗号の解説書だ。こうした用語が使われていても、魔術とは直接の関係は無い。
 しかし、3巻となると、状況は変わる。天使や精霊を祈りないし呪文でもって召喚し、情報伝達のみならず、森羅万象の知識を得たり、未来を予知する方法にすら触れている。
 ここが、教会の逆鱗にふれたのだ。多くの弁明や弁護もむなしく、この著は禁書となり、19世紀に至るまで解かれることはなかった。
 
 彼は1516年に世を去る。
 多くの敵と味方、偉大なる学者と山師じみた男という二つの名を残しながらも、彼は近代魔術の礎の一つを築きあげたのである。