教育勅語朗読がどうして腫物扱いされるのか

教育勅語を朗読することが何故戦前教育と報道されるかわかっていない人が多いようなので、ここに書き込むことにしますが、まず自分は日本の道徳を破壊しようともしていないし、教育勅語の内容には特別反対していない。

  1. 親に孝養をつくしましょう(孝行)
  2. 兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
  3. 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
  4. 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
  5. 自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
  6. 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
  7. 勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
  8. 知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
  9. 人格の向上につとめましょう(徳器成就)
  10. 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
  11. 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
  12. 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)

 

この道徳が守られるならば、正直者にとっていい世になるでしょう。それぐらいにいいものなのです。ただし、何故そこまで褒めていて反対するかというとこの教育勅語がかなり血塗られているという事実から目を背け過ぎているから。

 

 

1930 年代に入ると世界恐慌の煽りもあってか、教育勅語は国民教育の思想的基礎として神聖化された。
各学校では、教育勅語の写しは天皇陛下御真影とともに奉安殿に納められて、丁重に扱われるようになっていたし、また、毎年 1 月 1 日(元日、四方節)、紀元節2 月 11 日)、天長節天皇誕生日)、明治節(11 月 3 日)の四大節と呼ばれた祝祭日には、学校では校長が全校生徒に向けて教育勅語を読み上げた。

また1938 年(昭和 13 年)に国家総動員法が施行されると、教育勅語はその趣旨から外れ、軍国主義を正当化するために利用されていかに子供たちにその精神を伝えるかという一種の洗脳のレベルになってました。当時治安維持法があったため逆らったら牢屋行きでしたから反対する人は誰もいるわけがありません。中国で天安門を書き込むぐらい難しいと思いますよ。国家転覆罪で逮捕されますから無理です

 

外国からも評価されたこともある教育勅語ですが、こうした事実があるせいか今では参考程度の資料としてはともかく朗読となるとこうした歴史を忘れているのかと外国からも思われるのです。何故?日本の教育勅語がそこまで教育現場で出てこないかというと戦後の日本は道徳の題材を一つに絞らず多様にしようとしたからです。こうしたことを考えると学校でも教育勅語を参考にしているところは少しはあるんじゃね

 

道徳の正解は一つでないから正直教育勅語にこだわる必要もないと思うが