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ネットとは自覚ない悪意が襲う場

ネットとは多様な価値観が集まる場であり、蛸壺のような場でもある。そして弱者が強者に正義を突き立てる場でもある。

 

私はあなたに助言する。

友よ、人を懲らしめたいという

強い衝動を持つ者を信用するな!

 

- ニーチェ 

自分が人より優れ正しいと思っている人たちですが、それだけならまだいいのですが面倒なサイコパスがいると自分のしたいことが見失う危険性があります。-サイコパスは自分の承認欲求のためだけに懲らしめようとするため信用してはいけないのです。そのときに色々、涙頂戴のエピソードを持ってくるので注意

どちらにせよネットでは色々なやり方があるから注意。その人を懲らしめようとしていたら自分が利用されていたとか、どちらが上手く感情や知識を上手く利用できるかという側面もある。

若者を確実に堕落させる方法がある。

違う思想を持つ者よりも

同じ思想を持つ者を尊重するように

指導することである。

 

- ニーチェ -

そうすることによって価値観や生きる世界もせまくすることができ、他の価値観を持つ人たちに対して排他的になっていく。支配者にとって都合がいい

同じ考え方同士ネットでもまとまっていくのはこの原理

狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。

善悪の彼岸

集団に属していない第三者から見たら、村単位や会社単位で倫理に外れていることはよくある。集団でいじめることはよくあっても一人でいじめる人は少ない。

後の方になると、変なコメントが増えていく

男たちは、自分の職業が他のいかなる職業よりも大切だと信ずるか、自分で思い込ませる以外に、その職業をもちこたえることはできない。

ニーチェ

仕事に何かしら意味があるのだと思わなければ、激務なんてやってられん。金儲け、出世、人類の幸福何でもいいさ仕事をするうえで一番大切なのはそうした自信がないと無理でしょ。

使命とか出てくるのは物が大量に出てきた結果、他の承認が欲しくなったものだし過去の体験談が美化されるのは一種のアイデンティティだからなくすのは難しい・

善良な弱者は社会の裁きを絶対的に恐れ、その裏返しとして裁かれた者を絶対的に侮蔑し排除する。

ニーチェ

彼らは社会制度に対して疑うということがまるでない。いや、そうではない。いったん自分が制度の被害者になれば「制度の不備」を鉦や太鼓で喚き立てる。

ネットでたくさんコメントついているのはこれですよこれ、不正とか

 

自分の正しさを主張して譲らないよりは、自分に不正を帰するほうが高貴である。自分が正しい場合にはとりわけそうだ。ただ、そうするに足るだけ豊かでなくてはならない。

強者はもともと「強い」のだから平等を求めない。自分が不当に非難される位置にいても、不当に損を被る位置にいても、不当に報われない位置にいても、それをあえて引き受けるのだ。

ツァラトゥストラ

強い人はそういう人だと思う。誰よりも不平等な立場になってもめげないどころか、発信を続ける。

 

これからのネットでも力関係ができてきているのかもしれん。精神的にも、経済的にも。だからこそ追い込まれてからこそ人間の本性が出てくるのかもしれません。SNSの発言は一種のアイデンティティと思っていても良いと思います。だから普段はぶつからない意見が出てくるので結果的に発言した人は自覚無い悪意となるわけです。嘘よりもいいと思いますよ