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社会的ダーウィン主義

社会的ダーウィン主義が、競争によって優秀なものを残すということに自分は元々疑問です。社会と自然は元から条件が違うし、ダーウィン主義の言葉にはこうした言葉がある。最も生き残るのは頭がよいものでもなく、力強いものでもなく、環境の変化に対応する生き物が生き残るのだと、自分はこれに沿って書いていく

現代人がもしも、自然の中にいたら最もカモにされる生き物になるでしょう。食べれる物を野生から見つけれる人どころか罠も作れない。完全なサバイバルは、現代人には恐らくできるかどうかわからないものになっているのです。これを比較対象に持っていく人は何も道具なしで子孫を残せるという自信があるという人だけです。
  
人間は社会に生きているからこそ生きていけます。社会とは蟻の巣や蜂の巣みたいに、自然を加工して人間が生きやすいように作り直した環境です。社会ダーウィン主義者の優秀ないのちはこうしたものを指すのでしょう。しかし、今の時代。感情を抜きにして考えてしまうと優秀な頭脳や力はかなり役に立たないのです。知識は、本やネットで調べればよい。力もパワードスーツが普及していらないものになってきています。後は我慢力か、人の感情に訴えかける力ぐらいかなと思う。

それに関しては文化や制度によってかなり違います。日本では年功序列が今でも強いし列を並ぶ力が重視されますが、それは他の国に行けば変わります。若いトップがついて下の役職に命令する国や宗教が絡む国、共産主義のような国とかそれぞれの体制に社会的強者が存在し、社会的弱者がいます。それに、社会的強者は必ずしも優秀とは限らない。自分的にはどんなに能力が低くても上手に生きれるのが社会的強者と思うよ