大学の現実

大学は教育機関ではない。このテーマは、今となっては常識ですが、、社会が無関心なためにいつの間にか知られざる真実になってしまったという悲しい話です。


大学がビジネスになっていることもありますが、少子化によって生じた経営難と、グローバル化によって生じた国際競争力の低下です。そのひとつひとつが思わぬ誤解や不幸を生んでいる現実に、私達は目を向けるべきだと思っています。



【大学は教育機関ではない】

現在、我が国には700を超える大学が設置されており、その目的は「高等研究と高等教育」です。このうち、研究が先にあることが重要で、つまり大学とは研究機関なのです。その副次的なものとして教育が存在しています。かなり古い考え方だと言えばそうですが、これが出発点であることを忘れてはなりません。

教授と話した時のことです。最近つまらない学生ばかり増えて講義後がつまらないとぼやいていたので、在学中に質問した時のことです。



教授「世は就職難とかで。入学者も全員が優秀ではないからね。学生に手に職を付けるとか、教育を強化して送り出すことが社会における大学の使命とかうるさいし、学生も無難になってね 」

自分:「専門学校としての差はあるのでしょうか?それに無難とは?」

教授:「あまりないね、高校までの内容と専門学校で習うことすなわち人材育成を優先しわかりやすい専門教育した方が最近は受けがいいらしいし、みんな楽したいしね、何回か難易度上げたけど評価下げられたよ、それにどうでもいい講義をみんなありたがる。」

自分:「…確かに、図書館とかに行けばいいわけだしね」


しかし、学費を払ってる親御さん達は、こんなやり取りを知ってどう感じるでしょうか。
親は恐らく、大学教育に期待をして入学させるのですが、これは大いなる誤解です。大学は研究機関であって、教育はその研究過程で生じた副産物に過ぎないのです。そしてそれが高等教育だと長らく信じられてきました。良いか悪いかはさて置き、これが現実です。



【形骸化した大学教育】

昔の大学と言えば、講義では教授が一方的にしゃべり、学生は内容を理解するために必死になったものです。ただしこれは、半分は建前です。もう半分の実際は、面白味のない講義では、興味や理解が深まらなければついていけません。サボるか寝るかという具合です。
これを受けて昨年、大学教育の強化が文科省より示達され施行されました。

・2単位講義=週1回90分講義×15週の徹底。休講したら必ず補講。
・2/3以上の出席を徹底するが出席点は与えない。レポートまたは試験で評価。
 参考:文科省QA「Q3 日本の大学の現状について、「授業に出席しなくても単位が取れる」「勉強しなくても簡単に卒業できる」などの声を耳にしますが、これについて大学はどのような対策を講じているのでしょうか。」

しかし、出席させたからといって何かが抜本的に改善するわけではありません。学生は眠る時間が増えるだけでしょう。眠るなと言えば、机の下で携帯ゲームに没頭です。

他方、実験やゼミでは与えられたテーマに従って、あるいはテーマを独自に模索して課題に取り組むことが求められます。つまり、やりたい研究をやって良いということですが、やりたい研究が見つからない学生や、必要な基礎的知識が足りなければ取り残されます。しかしそうなると大勢の学生が卒業できませんから、大学はいつも逃げ道を用意しては、なるべく全員が卒業できるようにしました。これについては、今のところ文科省も無策です。

要するに、大学は教育機関ではないのです。それはずっと以前から何ら変わりませんし、かつてはこれで機能していたことも事実です。しかし、少子化グローバル化の波がこの問題を深刻化させました。

そもそも講義の質が下がってしまえば意味がない。