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日本人はね集団主義でも何でもないのよ

よく、日本人が集団主義的だと言われるが自分は異を唱える。日本は、集団的というよりも空気を読んだり、個人の勝手な感情を追求するとても個人主義的な社会であるということを自分は訴えていきたい。特にネットでは自由な発言をしているし、自由な発言をしている言論人が支持されているのも一種の自分の言いたいことの重ね合わせである。


今回は、日本人とアメリカ人の学生がそれぞれ3人1組で参加する。彼らは無意味な単純作業(コンピュータ画面に表示された文字の組み合わせから特定のものを選ぶ)を行ない、チームの3人の合計得点に応じて報酬が平等に分けられる。作業は隔離された小部屋で行なわれ、他のチームのメンバーからは、自分が真面目にやっているかさぼっているかを知られることはない。

こうした条件でもっとも合理的な行動は、自分だけがさぼって残りの2人に働いてもらうことだ。その一方で、真面目にやってもその努力は他の2人にも分配されてしまうから、「正直者がバカを見る」ことになる。

そこで実験では、グループから離れ、1人で作業できる選択肢が与えられた。その場合、次のふたつの条件が設定された。

低コスト条件:参加者は、いかなるペナルティもなくチームから離れることが許された。
高コスト条件:チームから離れる場合は、受け取る報酬が半額に減らされた。
低コスト条件では、自分が「バカを見ている」とわかれば、アメリカ人も日本人もさっさとチームから離れていく(20回の作業のうち、平均8回で離脱する)。考えるまでもなく、これは当たり前だ。

一方高コスト条件では、「バカを見ている」とわかっても、チームを離脱すればいまよりも少ない報酬しか受け取れない。癪に障るが、そのまま搾取される方が合理的な選択なのだ。

このジレンマに直面して、アメリカ人の学生は20回の作業のうち平均1回しか離脱しなかった(ほとんどは合理的に行動した)。それに対して日本人の学生は、損をするとわかっているにもかかわらず、ほぼ8回の作業でチームを離れた。

この実験も、日本人とアメリカ人の次のような顕著な違いを明らかにしている。
http://www.tachibana-akira.com/2011/07/2896



日本とは、他人を信用できない人でありかつ合理的な契約ができない人たちである。何故なら、少しだけの犯罪で過剰に反応したり、他人を信じてはいけない、知らない人に話しかけられたら犯罪者とか学校で教わるからだ。

そうした人にグローバル化とかと言っても無駄であり、寧ろとても非合理な仕組みで動く、社会で成り立っている社会であることに誰しも普通に気付くはずである。そうしたのを利用して参入障壁を作る人も存在するが、今からの社会に求められてくるのは、ムラが崩壊したというのを認めて、できるだけ大手は合理的にしていくことではないかと思う。
村の論理に生きるならば、どうしても地方が強くなってしまうのでやめておいた方が良いし、都市部はビジネスする場以外ではいらないだろう。