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大いに有名人のスキャンダルを笑いましょう。

どうして有名人のスキャンダルを見たがるか?というと、単純にみんな有名人に尊敬、もしくはかなり興味関心を持っているからである。それ故に有名人に対して何も思わない人がスキャンダルを見てもあんまり対して何も思わないのです。逆に興味がある人や尊敬していた人がこうしたことを読むと態度が変わってくる。信じていたのに裏切られた。こうしたことで批判はあるだろうが頑張ってください、悪いことだ、我々との契約違反だ。とかこうしたことが並んできます。これは、日常にも当てはまりみんなが勝手にその人に対して抱いたプラスのイメージを盲目的に信じて、ちょっとした悪いことがあれば喜んでいるのです。

そうした弱者の心理や弱みの心をスキャンダルは利用しているがスキャンダルがある社会は上下関係がある社会ともいえます。例えば、ホストや風俗嬢が不倫や浮気していたというニュースが流れても世間は無関心でしょう。しかし、政治家や公務員が不倫していた場合は自分自身が市民に対して、誠心誠意頑張りますと演説したせいか悪となります。頑張っている人の足を引っ張るとか引っ張らないとか主張している人がいますが上に立とうとすれば、みんなから見られるため普通に起こりえることであります。

スキャンダルにさらされたくなければ、簡単なことだ全員平等に見せかければよい、普通の人がフラれたという記事は一面に飾らないし、市民Aさんが買い物していても何もスキャンダルにすることはない。スキャンダルされる人生を選んだのはその人たちである。リストラにあった人もコンビニのフリーターでは報道されません。大企業の正社員なって始めて報道されるし、就活も東大だったり早稲田など誰もが知っていて高学歴な大学です。つまり序列がある社会である証拠でもあるのです。つまりスキャンダルを無くすというのは序列を無くすということである。

それとも、無関心や平等を望むのであればそこには歌って踊る人とわけわからない研究オタクと大きな声で何言っているか理解できない人たちの集まりである。死んだらそいつらの成果は残るけどね、みんなそいつらのしたことには無関心だからそいつらの残したモノたちは自己満足のモノに過ぎないのだよ。誰にも見られることなく世界へ埋没していくモノになるし、頑張っている人も頑張らない人も成果は同じ社会となる。スキャンダルされるということは、ある意味では競争が働いている証拠でもある。

尊敬される立場に立った人は、みんなの目標のために頑張りましょう。社会をプラスの方向へ引っ張るのはその人他たちの役割です。スキャンダルは怖いが仕方がない。それだけ社会の強者になってしまっているのだから。